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二次大戦後の三笠は米軍によって好き放題にイジられてしまったんですが、ある時それに待ったをかけて、元の姿への修復を命じたのが米海軍のニミッツ元帥でした。ニミッツ元帥は二次大戦では日本と戦いましたが、東郷元帥には畏敬の念を持っていた知日派でもありました。
今年の8月に久しぶりに横須賀に行ったのですが、その際三笠にも行きましたw三笠は若い頃から何回も行ってるのですが、いつ行っても変わらない姿で安心します。かつて日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破って大勝利をおさめた日本海軍連合艦隊。その旗艦が三笠で、現在も保存されていて、その姿を見る事が出来る貴重な存在ですね。第二次大戦の終戦後に荒れ果てて、一時は艦上に水族館やダンスホールが立てられたりして、とても痛々しい姿になってしまいましたが、チェスター・ニミッツ元帥をはじめとする海外からの寄付金と、日本国内の一般からの寄付金に加え、修復予算が国会で認められて修復の予算が確保され、さらに同時期にチリ海軍の戦艦アルミランテ・ラトーレが退役して日本で解体工事が行われた際に、チリ政府から三笠修復用に解体された同艦の部品が寄贈されて現在の姿に修復された経緯があります。
いつも貴重な映像ありがとうございます。探索お疲れさまでした😄
同じ艦でも山下公園の氷川丸とは違いますね。今は陸に上がって休んでいる三笠が、煙を吐いて波をかき分けている動画を鮮明なカラーで見られるなんて!横須賀は毎日、日米の艦が入れ替わるので、いつ行っても楽しいですね。
20年前に戦艦大和の沈没時の生き残りのお客さんの話を聞いたのを思い出しました。多くの人の運命を変えた戦争と、その象徴である戦艦ですね。平和がありがたいと思うばかりです。
戦艦三笠には当時の勇姿そのままに今でもZ旗を掲げていて欲しい。
海が大好きで年に何回か海を見に、汐入の”軍港めぐり”も何度か行きました。そう言えば、戦艦「三笠」は、昔まだJR(国鉄)の横須賀駅周辺に何も無い頃、社有車で近くに用事があった帰りに、何気なく寄ったことが有りました。海は良いですねぇ、、、。将来、海辺の町に住みたいと思っています。😊😊😊
三笠が動いたwあんな風に航行して丁字戦法を組んだんだろうね…
「指令塔上にのぼると高所恐怖をおぼえた。‥床一枚の構造で‥海戦中しぶきを頭から浴び‥東郷はここで立ちっぱなしだった」 司馬遼太郎は三笠を見学した折、このような感想をもらしています(「街道をゆく」42)。「坂の上の雲」(小説でもドラマでも)で描かれた東郷の魅力的な姿を、司馬は三笠の上からも確かめたようです。
凄いですね。船がこんなに長持ちするとは思わなかったです。
懐かしい。。とは言え記憶は無いのですが、1962-3年位に三笠の砲台に乗った写真が今でも実家にあります。その写真を撮ってくれた父も西方浄土へ渡り時代の流れを感じます。因みに撮影機材は、キヤノンⅡd でした。
ちょうどドラマ「坂の上の雲」が日曜夜に再放送されていますね。前回は日清戦争前の高陞号事件(豊島沖海戦)で「浪速」艦長時代の東郷平八郎が清国兵員を輸送中の英国籍商f船を撃沈した話でした。「軍人は、みすみす敵兵を見逃すわけにはいきもはん」という東郷役の渡哲也さんのセリフが印象的でした。戦艦三笠は確か日露戦争の海戦シーンでCG化されて描かれていたと思います。(選挙で今週は放送がスキップみたいです)
日本を命懸けで護った偉人たち…昨今の政治屋どもときたら…
個人的な感想ですが入口が妙に目立っているのが気になります。看板を小さくして、階段と屋根を艦と同系色に変えるだけでもすればいいのにと思ってしまう。
艦内に掲示されている乗組員名簿に妻の祖父の名があります50年以上前に祖父に連れられて行ったときにはそんなご縁があるとは思いもしませんでした「
エンディングが(^^)。
5cm位の麻のロープが暖簾の様に垂らして在って、それが防弾幕と言うのが印象的でしたね。
現在あるのはチェスター・ニミッツ提督のおかげ。
二次大戦後の三笠は米軍によって好き放題にイジられてしまったんですが、ある時それに待ったをかけて、元の姿への修復を命じたのが米海軍のニミッツ元帥でした。
ニミッツ元帥は二次大戦では日本と戦いましたが、東郷元帥には畏敬の念を持っていた知日派でもありました。
今年の8月に久しぶりに横須賀に行ったのですが、その際三笠にも行きましたw
三笠は若い頃から何回も行ってるのですが、いつ行っても変わらない姿で安心します。
かつて日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破って大勝利をおさめた日本海軍連合艦隊。
その旗艦が三笠で、現在も保存されていて、その姿を見る事が出来る貴重な存在ですね。
第二次大戦の終戦後に荒れ果てて、一時は艦上に水族館やダンスホールが立てられたりして、
とても痛々しい姿になってしまいましたが、チェスター・ニミッツ元帥をはじめとする
海外からの寄付金と、日本国内の一般からの寄付金に加え、修復予算が国会で認められて
修復の予算が確保され、さらに同時期にチリ海軍の戦艦アルミランテ・ラトーレが退役して
日本で解体工事が行われた際に、チリ政府から三笠修復用に解体された同艦の部品が寄贈されて
現在の姿に修復された経緯があります。
いつも貴重な映像ありがとうございます。探索お疲れさまでした😄
同じ艦でも山下公園の氷川丸とは違いますね。
今は陸に上がって休んでいる三笠が、煙を吐いて波をかき分けている動画を鮮明なカラーで見られるなんて!
横須賀は毎日、日米の艦が入れ替わるので、いつ行っても楽しいですね。
20年前に戦艦大和の沈没時の生き残りのお客さんの話を聞いたのを思い出しました。
多くの人の運命を変えた戦争と、その象徴である戦艦ですね。平和がありがたいと
思うばかりです。
戦艦三笠には当時の勇姿そのままに今でもZ旗を掲げていて欲しい。
海が大好きで年に何回か海を見に、汐入の”軍港めぐり”も何度か行きました。
そう言えば、戦艦「三笠」は、昔まだJR(国鉄)の横須賀駅周辺に何も無い頃、
社有車で近くに用事があった帰りに、何気なく寄ったことが有りました。
海は良いですねぇ、、、。将来、海辺の町に住みたいと思っています。😊😊😊
三笠が動いたw
あんな風に航行して丁字戦法を組んだんだろうね…
「指令塔上にのぼると高所恐怖をおぼえた。‥床一枚の構造で‥海戦中しぶきを頭から浴
び‥東郷はここで立ちっぱなしだった」 司馬遼太郎は三笠を見学した折、このような感
想をもらしています(「街道をゆく」42)。「坂の上の雲」(小説でもドラマでも)で描
かれた東郷の魅力的な姿を、司馬は三笠の上からも確かめたようです。
凄いですね。船がこんなに長持ちするとは思わなかったです。
懐かしい。。とは言え記憶は無いのですが、1962-3年位に三笠の砲台に乗った写真が今でも実家にあります。
その写真を撮ってくれた父も西方浄土へ渡り時代の流れを感じます。
因みに撮影機材は、キヤノンⅡd でした。
ちょうどドラマ「坂の上の雲」が日曜夜に再放送されていますね。前回は日清戦争前の高陞号事件(豊島沖海戦)で「浪速」艦長時代の東郷平八郎が清国兵員を輸送中の英国籍商f船を撃沈した話でした。「軍人は、みすみす敵兵を見逃すわけにはいきもはん」という東郷役の渡哲也さんのセリフが印象的でした。戦艦三笠は確か日露戦争の海戦シーンでCG化されて描かれていたと思います。(選挙で今週は放送がスキップみたいです)
日本を命懸けで護った偉人たち…
昨今の政治屋どもときたら…
個人的な感想ですが入口が妙に目立っているのが気になります。
看板を小さくして、階段と屋根を艦と同系色に変えるだけでもすればいいのにと思ってしまう。
艦内に掲示されている乗組員名簿に妻の祖父の名があります
50年以上前に祖父に連れられて行ったときにはそんなご縁があるとは思いもしませんでした「
エンディングが(^^)。
5cm位の麻のロープが暖簾の様に垂らして在って、それが防弾幕と言うのが印象的でしたね。
現在あるのはチェスター・ニミッツ提督のおかげ。